2.5次元俳優とも呼ばれ、ミュージカルなど舞台で活躍する俳優の有澤樟太郎さん。
高身長イケメンで、特に2.5次元界では大人気なんです!
今回は有澤樟太郎さんがどんな風に育ったのか、家族などについて調査しました。
ぜひ最後までチェックしてくださいね♪
有澤樟太郎の家族構成
有澤樟太郎さんの家族構成は、両親・弟の4人家族です。
・父
・母
・本人(有澤樟太郎さん)
・弟
男2人兄弟のお兄ちゃんとして育ったんですね。
プロフィール
有澤樟太郎さんのプロフィールはこちらです。
名前 | 有澤樟太郎(ありさわ しょうたろう) |
生年月日 | 1995年9月28日 |
血液型 | O型 |
出身地 | 兵庫県 |
身長 | 184cm |
趣味・特技 | 野球観戦(オリックスファン)、音楽鑑賞、野球、バレーボール |
野球が大好きだという有澤樟太郎さんですが、兵庫県出身のため阪神ファンなのでは、と思いますよね。
オリックスファンになった理由は「強いチームに立ち向かっていく姿」だったんだそう。
今でこそオリックスはめちゃくちゃ強いチームとして知られていますが、応援しはじめた当時は弱く、阪神戦のチケットが全然取れないのに対して、オリックス戦は試合当日でも取れたんです。
そんな理由もあって試合を観に行くようになったんですが、強いチームに立ち向かっていく姿に惹かれ、だからこそ勝てたときは“よっしゃー!!”と喜びも大きくて。
ファンサービスも楽しかったですし、球場に野球を観に行くことが特別な日になりました。
それからもう、ずっと好きですね。
引用:OZmall
始球式で登板したこともあり、夢が叶ったと話していました。
本当に楽しそうで嬉しそうな顔をしていますね!
有澤樟太郎の父親の職業は?
有澤樟太郎さんのお父さんについては情報がなく、職業などもわかりませんでした。
有澤樟太郎さん曰く、お父さんは「骨格がしっかりしてて顔がでかい」そうです。
昔から何でも好きなことをやらせてくれたお父さんのことが大好きで、お父さんに会うと子供に戻ってしまうと話す、有澤樟太郎さん。
最近は父も白髪が増えて「もっと若作りしてくれよ」って思います(笑)。
父のことは大好きだし尊敬もしていて、昔から何でも好きなことをやらせてくれるんですよ。
父に会うと子どもに戻れますね。
引用:エンタステージ
デビューして間もない頃に、東京でお父さんとお昼ご飯を食べに行ったときも、子供の頃のことを思い出していたようでした。
関西から父が来てたのでお昼ご飯を一緒に。
鯖が美味しすぎた。
写真じゃ伝わらない脂ののり具合。最高でした。
昔は焼き魚食べるのめちゃ苦手やったなあ…と父と食べながら思い出した。笑
何回喉に骨詰まらせてSOSしたか…
引用:有澤樟太郎公式ブログ
有澤樟太郎さんはお母さんや弟さんのことはよく話すのですが、お父さんのことはあまり話さないため、お父さんが嫉妬しているそうです。
僕、あまり父のことをしゃべらないから、裏でめちゃめちゃ嫉妬しているらしいです。
「なんで俺の事を言ってくれないのかな」って言ってたって母から聞きました(笑)。
引用:エンタステージ
お父さんも有澤樟太郎さんに直接言ってこないところが、本当に気にしているような気がしますね。
有澤樟太郎の母親の職業は?
有澤樟太郎さんのお母さんも情報が少なく、職業などについてもわかりませんでした。
母親は身長高くて顔が小さくて、完全に母親に似ました。
子どもの頃は「速水もこみちさんみたいになってくれたらいいなあ」って言われてました(笑)。
そうはなれなかったけど、もしかしたら芸能界に進もうと思ったのはその影響もあったかも。
引用:omoshii
有澤樟太郎さんは今でこそお母さんと仲が良く、「(母は)めちゃくちゃ偉大」と感謝の気持ちを表していますが、親子だからこその喧嘩や衝突も当然あったそうです。
でもそう言えるのは自分も大人になったからで。
実家にいたときはよく叱られていましたよ。叱られる理由ですか?
えっと……靴下を裏返しのまま置きっぱなしにしたり、お弁当箱を出さなかったり(笑)
引用:ミモレ
母親からすれば、我が子の健康を思っての行動も子供からするとうっとうしく感じてしまうことも。
言い合ったりしたことはあります。
全部僕の理不尽なんですけどね(笑)。
母親は甘やかす性格じゃなかったので、子どもの頃はファーストフード店に連れてってくれなかったし、お菓子も食べさせてくれなかったし、白米じゃなくて玄米だったし。
今思えば、本当にありがたいことですけどね。
引用:omoshii
中学校の頃、有澤樟太郎さんは反抗期真っただ中で、夜遅くまで遊んでいたり学校をサボったり、「道を踏み外しかけた」時期だったんだとか。
中2から携帯を持ったんですけど、もともと母は僕が携帯を持つのに反対で。
持つのを認める代わりに、母からの電話には絶対出るって約束だったんですよ。
だけど、僕は母からの電話を無視したまま、ずっと遊んでて。
それで大ゲンカになってビンタされたこともありました。
引用:ミモレ
お母さんとすれ違うことも多かった思春期でしたが、お母さんは有澤樟太郎さんの気持ちも大切にしながら、諦めずに向き合ってくれたそうです。
そしてあるとき「母の愛」に気づき、一気に目が覚めたといいます。
中学生くらいの頃は反発してました。
でも母は僕の反抗期に向き合ってくれたんです。
実は中学校、転校してるんですよ。私立の学校から公立に。
しかも道路一本向こう側の校区の中学に友達がたくさん通ってたので、どうしてもそっちに入りたくて、いろいろ申請したりしないといけなくて大変だったのに、全部やってくれて。本当にありがたかったです。
だから(『息子の証明』で母子が8年間会っていなかったように)母親と会いたくないと思ったことはないです。
実家が好きですし、地元が大好きなので。
引用:omoshii
僕と同じように、弟も道を踏み外しかけた時期があって。
そのときの母の顔を見て、『俺もこんなことしてたんだ、マジか……』って切なくなっちゃったんですよ。
母は自分の自由な時間も削って僕らに向き合ってくれて。
毎日働いて疲れているのに、朝早くから弁当をつくってくれた。
それまで当たり前すぎてなんとも思っていなかったですけど、そうじゃないんだ、これは全部僕たちのためにやってくれているんだと気づいたときに、一気に目が覚めました。
引用:ミモレ
今ではお母さんに対して「本当に幸せになってほしい」と話す有澤樟太郎さん。
ヤンチャな息子2人を育ててくれた大変さに感謝しながら、これからの人生も元気で楽しんでほしいと話していました。
母の日ですね。日頃の感謝伝えましたか…?
いつまでも元気でいてほしいですね。
男2人兄弟てやっぱり大変よな。って今になって思います。
引用:有澤樟太郎公式ブログ
うちの母も息子が二人とも巣立って、ホッとした反面、寂しくなったりするんだろうなって。
子育てが終わった後の、第二の人生をいっぱい楽しんでほしいです。
引用:SPICE
お母さんも子供たちが社会に出て、がんばっていることを嬉しく思っているでしょうね。
俳優を目指したきっかけ
小さな時から背が高く運動神経もよかったそうで、リレーの選手に選ばれたりマラソン大会で1位をとったりしていたそうです。
お母さんもその姿を見て、いろいろな習い事の体験に連れて行ってくれたそうですが、どこにも通うことはなかったといいます。
母はいろいろな習い事の見学に連れて行ってくれましたが、お絵描き、サッカー、空手、剣道、ダンス、全部見学だけで通うことはなく(笑)。
空手も、警察署がやっていた剣道教室も先生が怖くて向いていなかった。
水泳を弟と一緒にやってみたこともありますが、まったく馴染めず、すぐに兄弟そろって退会しました(笑)。
引用:ステージナタリー
地元にプロ野球選手の中島宏之さんが来たことがあり、写真を撮ってもらったことをきっかけに野球に興味を持ち、小学校5年生の時に野球を始めたそうです。
僕の地元近くの病院に、プロ野球選手の中島宏之さんが来ていたんです。
中島選手はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)もメジャーリーグも経験しているすごい方。
縁あって中島選手と一緒に写真を撮ってもらって、すっかり夢中でした。
さっきもお話ししたように僕は影響を受けやすいから(笑)「いつか自分も中島選手みたいになりたい」と思って、小学5年生で少年野球を始めました。
引用:ステージナタリー
そして中学校は野球の強豪校に進学しますが、中学2年生の時に怪我をしたことで野球をやめてしまったそうです。
その頃の有澤樟太郎さんは反抗期で荒れていた時期だったそうですが、お母さんが芸能界へ進むことを提案してくれたのだとか。
野球を辞めた頃は反抗期で、友達と遊ぶのが楽しくて夜に出かけてしまう日もありました。
そんなとき母が、新聞に載っていた芸能関係の広告を見つけて「こういうの、やったら?」と言ってくれたんです。
テレビの向こうの世界は遠いものだと思っていましたが、身内にすすめられたことで「あ、目指して良いんだ」と一気に現実味が増して、「やろう」と決意しました。
引用:ステージナタリー
このときの荒れた心に寄り添ってくれたのはお母さんだけでなく、少年野球時代のコーチもでした。
野球を辞めたことはやはりターニングポイントでしたし、当時の僕は気持ちが荒れていた。
でも今振り返ると、母や小学校のときお世話になった少年野球のコーチが僕を見捨てずに寄り添ってくれていました。
僕がフラフラせずにいられるよう助けてくれた母やコーチには、本当に感謝しています。
引用:ステージナタリー
否定したりバカにしたりしないで、真剣に話を聞いてくれる人が近くにいたのは、有澤樟太郎さんにとってとても大きいことだったと思います。
そのときもお母さんからの愛を感じ、号泣してしまったと話す有澤樟太郎さん。
僕、上京して8年になるんですけど、東京に引っ越した時、母が生活に必要なものを買いそろえるなど手伝ってくれたんです。
いざ地元に帰る時に空港で僕が号泣して、それを見て母も泣いちゃって。
弟は僕と母の顔を交互に見て「何で泣いてるの?」みたいな感じだったんですけど(笑)。
母が泣いている姿ってほとんど見たことがないので、その時の事は特に印象に残っていますね。
その後も僕が出演する舞台を観るために度々上京してくれるんですけど、ふとした瞬間に「なんか歳取ったな」って感じて切なくなっちゃう。
親が年取ったって感じる時って一番切ないですね。
引用:エンタステージ
きっとお母さんも有澤樟太郎さんも今までのいろいろなことを思い出して、感極まってしまったのでしょうね。
今では「ミュージカル界の次世代スター」とまで呼ばれる有澤樟太郎さんですが、ミュージカルにこだわっている理由の1つにも母の存在がありました。
母がミュージカル好きなんですよ。
もともと吹奏楽部だったのもあって、『ウエスト・サイド・ストーリー』が決まったときとかすごく喜んでくれたし、『17 AGAIN』も楽しんでくれて。
ミュージカルを頑張りたい理由のひとつに、母に喜んでもらいたいというのもありますね。
引用:ミモレ
たくさんのことをお母さんと乗り越えてきた絆があり、俳優を目指すきっかけになったのもお母さん。
有澤樟太郎さんにとって、この世界で頑張ることはお母さんへの恩返しもあるのかもしれませんね。
有澤樟太郎に兄弟はいるの?
有澤樟太郎さんには、3歳下に弟が1人います。
2017年のブログにこのように書いていたので、3歳差で間違いないかと思われます。
弟も最近高校の卒業式だったみたい!早いなー。
あんな小さかった弟がもう高校卒業したって…
母から立派な卒業式だったとの報告もあってなんか感動しました。
引用:有澤樟太郎公式ブログ
ちなみにこちらは弟さんとおじいちゃんとの写真だそうで、おじいちゃんも背が高いそうですよ!
弟さんも高身長のようで、筋肉もありボディービルダーのように体格がいいんだとか!
毎回実家に帰る度、必ず弟が筋肉を自慢してくるんです…
すげえよ確かにすげえ。
色も黒いからいい感じにボディービルダーみたい…
弟よ、負けへんで!!
俺もボディービルダーまではいかんけどいい感じにいい体になってやる!!
次帰ってきたときには俺が筋肉自慢したろ。
弟の筋肉みて変に刺激を受けました(^ω^)
3ポーズくらい決めてくるからね(笑)ユニークな弟です。
引用:有澤樟太郎公式ブログ
弟さんとは、昔飼っていたうさぎの名前について争ったり、夏になるとセミを獲りに行ったり、喧嘩しながらも仲良く育ったそうです。
小学生の時セミ捕りが大好きでした。
弟と2人で虫カゴぶら下げて走り回ってたな…懐かしい。
夏を迎える時いつもこの記憶が蘇ります。なかなか楽しかった!
引用:有澤樟太郎公式ブログ
弟はキレると俺の部屋に乗り込んで大事なものを壊してくるタイプのキレ方でした。
喧嘩するほど仲はいいんですけどね笑
引用:有澤樟太郎公式ブログ
弟さんとは性格が真逆だそうですが、有澤樟太郎さんは弟さんのことをよく理解している印象を受けました。
僕、弟がいるんですけど、弟とは真逆なんですよ。
弟は天真爛漫タイプで、僕はどちらかというと自分から積極的にいけない大人しいタイプ。
昔から人見知りだったので、遊びに行く時は母も一緒に付いて来て「ねぇねぇ、一緒にドッチボール入れてあげてよ」って声をかけてくれて・・・。
母がいないと何もできない子でしたね。
逆に弟は一人でどっか行っちゃう目が離せない子でした。
引用:エンタステージ
自分の想いをちょっとふざけて言うことによって「本当はこう思っているんだよ」って伝える面倒くさいヤツ、いるじゃないですか。
まぁ僕の弟がそうなんですけど。
母が本気で怒っているのに、弟は素直に「ごめん」が言えなくて、わざと母の部屋に下着を脱ぎ捨てるって聞いて「なんでわざわざそんな嫌なことするの?」と思ったけど、それも弟なりのメッセージがあるんでしょうね。
引用:エンタステージ
兄である有澤樟太郎さんと同じく、荒れていた時期もあったという弟さんですが、今ではすっかり落ち着いて家族のことを大切に想う大人になったそうです。
「最近、家族との絆を感じたエピソード」としてこのように話していた有澤樟太郎さん。
弟の就活ですかね。
電話でよく話すんですが、僕と違って、かなりしっかり者。
僕の仕事を応援してくれつつ、不安定な業界であるとも言い切っていて。
「家族に何があっても大丈夫なように、自分は安定した職に就きたい」って言ってるんです。
なんかもう、本当に大人になったんだなって。
この間、内定をもらったそうです。
引用:SPICE
有澤樟太郎さんも弟さんも大変な思春期を過ごしたからこそ、両親への感謝や尊敬の気持ちを人一倍強く感じているのではないでしょうか。
まとめ
今回はミュージカル俳優として活躍する、有澤樟太郎さんの家族についてご紹介しました。
家族とともに荒れた思春期を乗り越え、今では家族をとても大切にしている有澤樟太郎さん。
誰よりもそのご家族が有澤樟太郎さんの活躍を喜んでいることでしょう。
ミュージカル界の次世代スターとして期待されている有澤樟太郎さんの今後の活躍も楽しみですね!
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