ジェンダーレスモデルとして話題の井手上漠さん。
2018年には「第31回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に出場し、DDセルフプロデュース賞を受賞。
「可愛すぎるジュノンボーイ」として注目を集めました。
この記事では、井手上漠さんの家族構成について調査しました。
井手上漠の家族構成
井手上漠さんの家族構成は、母・姉の3人家族です。
・母
・姉:井手上暖乃さん(1~2歳上)
・本人:井手上漠さん
井手上漠の父親の職業は?
井手上漠さんのお父さんについては情報がないため、職業などもわかりませんでした。
井手上漠さんは幼い頃に両親が離婚したため母子家庭で育ったと話しており、お父さんのことについては語っていません。
性別に違和感
自身に「性別はない」と話す井手上漠さんですが、身体としては男の子として生まれてきました。
プリキュアが好きだったといい、遊ぶのも女の子とばかりで、おままごとや女の子向けのおもちゃで遊んでいたそうです。
かわいいものを好むようになったのは、3歳の時に祖父母に連れていってもらった結婚式で花嫁さんのウエディングドレス姿を見てからです。
そこからキラキラしたものやかわいいものが好きになりました。
遊ぶ玩具も女の子向けのものばかりで、一緒に遊ぶのも女の子だし、髪も長くて女の子になじんでいる自分がずっと普通でした。
引用:HITACHI
髪の毛も肩まで伸ばし、ふわふわしたかわいらしいデザインの服を好んで着ていたんだとか。
初めて自身の性別に違和感を持ち始めたのは、小学校5年生の時。
体育の着替えの際に「男子」側に振り分けられた際に、周りからも違和感を持たれ、「気持ち悪い」などと言われたことから、自分が周りの男の子とは少し違うことに初めて気づいたそうです。
自分っておかしいのかなとか、性別の壁にぶち当たった瞬間なんですけど、小学校5年生とか高学年になると、体育の前に着替えるのを男女別々の部屋にされたりとか、けっこう男女の区別がされてくるじゃないですか。
私は小さいときから女の子とおままごとをしたりお人形で遊んだり、ずっと女の子といたけど、生まれは男性なので着替えるのは男性のほうに区別をされたときに、違和感を持った周りの子たちがいました。
その子たちにちょっと否定的な言葉をかけられて「自分っておかしいのかな」とか「自分ってもしかして周りから浮いている存在なのかな」って、まったく気にしてこなかったものを気にするようになっちゃって。
自分というものを、初めて客観視した瞬間でしたね。
引用:radiko
その後は髪をバッサリ切り、わざと男の子っぽい格好をして「普通」を演じていたといいます。
その頃から私に向けられる目や声が否定的なものばかりになって、それが悔しくてつらくて、髪をバッサリ切り、服装も男性的なものにしました。
好きなこともできないし、周りに自分のことを打ち明けられないし、人生の主役が「自分」ではなく「周り」になっていって何もかもが楽しくなくなりました。
引用:HITACHI
この小学5年生のときから中学2年生まで、井手上漠さんにとって「自分が自分でない」ような、長く苦しい時間が続きました。
井手上漠の母親の職業は?
井手上漠さんのお母さんはシングルマザーとして朝から晩まで働き詰めだったそうですが、職業などはわかりませんでした。
女手一つで2人の子供を育て上げたお母さんは、忙しくても晩御飯のときには、家族3人でコミュニケーションを取ることを忘れなかったそうです。
晩御飯の時間には母、姉、私の3人そろって、その日あったことを話すんです。
母も『今日、仕事でこんなことがあってさ~』と、軽く愚痴を言うこともあったり。
『そっかぁ。お母さんも大変なんだね~』なんて感じで、親子というよりも友達のような雰囲気でコミュニケーションをとっていた気がします。
引用:FRaU
お母さんにしてもらう”耳かき”の時間が好きだったことや、お母さんの作るタラコクリームパスタが大好きなことなど、お母さんとのエピソードがたくさんあります。
大好きだったのは耳かきの時間。
小学校高学年ぐらいまで膝枕で耳かきをしてもらっていたんです。
母の体温を感じ、たわいもない話に花を咲かせながら耳かきしてもらう時間は、すごく幸せなひとときでした。
あと、お母さんのタラコクリームパスタが大好きなんです。
アスパラガスが入っていて、ものすごく山盛りでもあっという間に食べられちゃう。
ああ、食べたいな……
引用:FRaU
しかし、お母さんは優しいだけではなかったそうで、しつけなどにはとても厳しいお母さんだったんだとか。
テストの点数で怒られたことはありませんでしたが、母の知人に会う時に、きちんと挨拶しなかったりすると後でめちゃくちゃ叱られました。
友達とケンカして帰れば、『絶対に友達が悪い』私が言っても、『でも、最初に漠がひどいことを言ったから、そんなふうになったんだよね』と、私の悪いところを指摘するんです。
思わずムッとしてしまったこともあるんですが、冷静になってみると、母の言っていることは正しいのだと気づかされる。
母の意見には説得力があり、叱られる理由も理解できたんです。
引用:FRaU
すべては「母のため」
お母さんは井手上漠さんの1番の理解者であり、井手上漠さんは「本当に信頼している大人は母だけ」という程。
井手上漠さんの悩みに気づいていたのか、お母さんは井手上漠さんが中学2年生の時に、恋愛対象について質問してきたそうです。
母は、そんな私の変化に気付いていました。
「漠は男の子が好きなの?」。
中学2年のとき、夕食後に急に聞かれました。
母が相当の覚悟を持って話を切り出したと分かり、涙が止まりませんでした。
「好きになる人に性別は関係ないんだ」と答えて、これまでの葛藤を打ち明けました。
20分くらい、泣き続けたと思います。
母は黙ってそばで聞いてくれました。
そして「そっかぁ。漠は漠のままでいいんだよ」と。
顔を上げると、少し涙目になりながら、全てを受け止める優しい笑顔がありました。
私の人生の大きなターニングポイントでした。
引用:東京すくすく
このときから井手上漠さんは周囲の目が気にならなくなったといい、ファッションやメイク、美容など自分の大好きなことを楽しめるようになり、「無敵になった」と話していました。
井手上漠さんにとって今でも1番の支えはお母さんで、お母さんが味方なら何も怖くないといいます。
本当に信頼している大人は母だけ。
これは一生変わらないと思います。
私がまだ若いからこその答えかもしれないですが、今はそう決めています。
私が仕事をする理由も、生きている理由もすべて、原点をたどると母のためなんです。
私は学生の時に一度だけ、本気で死のうと思ったことがあります。
でもその時に、生きることを楽しみに変えてくれたのが母でした。
母子家庭で、いろいろあったなかでもずっと味方でいてくれました。
母は「子どもが幸せそうに生きていることが、親にとっての恩返し」と言います。
でも私は「母に対してできることは、できるだけやってあげたい」という思いが、親元を離れてからより強くなりました。
それを叶えるまで私は死ねない、みたいな気持ちがあります。
引用:めざましメディア
お母さんへの想いや2人の絆はとても強いものなんですね。
井手上漠に兄弟はいるの?
井手上漠さんには、お姉さんが1人います。
インタビュー記事によって「1歳上」「2歳上」と違う情報となっているため、どちらが本当かわかりませんが歳は近いようです。
2022年当時の井手上漠さんの発言では、お姉さんも島根県から上京しているそうで、お姉さんのことを「ありえないほどべっぴん」とほめていました。
井手上漠さんはお母さんの顔も好きだと話していたので、美形家族が誇らしく感じているのでしょうね。
今では大の仲良しで、コスメや洋服を共有したり、おしゃれの情報交換をしたり。
私よりずっと顔が小さくて、美人で、優しい自慢の姉なんです。
仲良くできてすごく幸せ。
引用:VoCE
「今では」とありましたが、お姉さんは井手上獏さんがカミングアウトしたことについて、最初から理解できていたわけではなかったといい、ギクシャクした時期もあったそうです。
母は最初から『漠は漠だから』と応援してくれたけど、2つ上の姉は私のことを最初からすべて理解できたわけではなかったと思います。
私は全く気づいてなかったのですが、私が『ジェンダーレス』であることをカミングアウトした当時、それを伝え聞いた姉の友達から『漠ちゃんってそっち系なの?』と言われたり、血が繋がっているからこそ複雑な気持ちになってストレスを感じることが多かったそうなんです。
姉は私を責めたりはしなかったけど、多少ギクシャクしたこともありました。
だけど、母が姉の相談にのってくれたこともあり、私の活動を見るうちに、だんだんと理解してくれるようになりました。
引用:VoCE
お姉さんも多感な時期だったと思うので、家族として理解してあげたい反面、周りの目も気になったのかもしれません。
間に入って取り持ってくれたお母さんは本当に素晴らしい方ですね。
まとめ
ここまで、ジェンダーレスモデルの井手上漠さんの家族についてご紹介しました。
井手上漠さんは特にお母さんからの支えやサポートがあってこそ、本当の「自分」を取り戻せたのでしょう。
今後も井手上漠さんが、自分らしく好きなように活動していくことを楽しみにしたいですね。
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